小型蓄積リングを用いたビーム冷却実験およびビーム冷却法の開発

ビーム温度の世界記録を打ち立てる!

 加速器中のビームが受ける外力(電磁石や高周波空胴が及ぼす力)は保存的で、エミッタンスは原理的に不変です。この事実は、ビームの質が加速器に入射される時点の状態で決まっていることを意味します。したがって、ビームの高品質化を実現するためには、何らかの散逸力を導入しなければなりません。ビームに散逸力を与えて低エミッタンス化する操作は“冷却”と呼ばれています。低エミッタンス化の過程で、重心系におけるビーム温度が実質的に下がるからです。有効な冷却力を開発するのは非常に難しく、イオンビームに適用可能な実用的手法は現在までのところ次の3つしか知られていません。
     A.  電子冷却法(electron cooling)
     B.  確率冷却法(stochastic cooling)
     C.  レーザー冷却法*(laser cooling)
 加速器の長い歴史と高品質ビームのニーズを考えると、3つというのはいかにも少ない数字です。逆に言うと、これらに匹敵する新しい冷却原理を考案すれば、確実にノーベル賞がもらえるでしょう。電子冷却法と確率冷却法は加速器ビームのために加速器研究者が考え出した方法ですが、レーザー冷却法は開発の経緯が異なっています。電子冷却装置や確率冷却装置を完備した加速器(正確には、蓄積リング)は世界各地に建設されていますが、限界温度が高いため、極低温ビームの生成は事実上困難と言わざるを得ません。一方、レーザー冷却法によって到達可能なビーム温度は他の方法に比べて圧倒的に低く、原理的にはほぼ絶対零度が実現できます。
 レーザー冷却法を加速器中のビームに初めて適用し、その有効性を実証したのはドイツの研究チームです;ハイデルベルグにあるマックス・プランク研究所の蓄積リング“TSR”で、1990年頃、数種類の重イオンビームがレーザー冷却されました。翌年、デンマークのオーフス大学でも、蓄積リング“ASTRID”を使って一価のマグネシウム・ビームのレーザー冷却実験が行われています。ただし、これらの実験で直接冷却されたのはビーム進行方向の自由度のみであることに注意しなければなりません。この冷却法は、原理的に、レーザーの進む方向にのみ散逸効果をもたらします。レーザーは蓄積リングの直線部に導入され、数メートル程度の距離にわたってビームとオーバーラップし相互作用するのですが、ビーム進行方向に直交する残り2つの自由度は直接冷却できません。レーザーのスポットサイズは小さく、かつビームは高速で運動しているので、横からレーザーを照射しても十分な相互作用時間を確保できないことは明らかです。ドイツやデンマークのグループは、進行方向自由度のビーム運動をほとんど瞬間的にかなりの低温まで冷却することに成功しましたが、いわゆるベータトロン振動**を減衰させることはできませんでした。(実際には、イオン間の衝突によりベータトロン運動も間接的に冷えますが、その効率は非常に悪い。)また、TSRやASTRIDには設計上の問題があることが、後の理論的研究(LinkIcon「超高品質荷電粒子ビームの基礎物性研究」を参照)により判明しています。これらのリングでは、仮に理想的かつ強力な冷却力が用意できたとしても、3自由度すべてを極低温化することは不可能なのです。
 夢の極低温ビームを実現するため、我々は京都大学と共同で新しい蓄積リングの設計研究を進めてきました。これまでの理論的研究の成果に基づいて設計され、2005年に京大宇治キャンパスに完成したのが“S-LSR***(Small Laser-Equipped Storage Ringの略)”です。このリングは単位集束周期を6つ結合した構造をもっています。ビームの極低温化に必要な物理的条件をほぼ満足しており、TSRやASTRIDよりもはるかに性質の良い蓄積リングであると言えます。電子冷却装置は既に設置されており、レーザー冷却システムも現在準備中です。
 上述した通り、従来のスキームでレーザー冷却したのでは、ビーム進行方向のみの1次元的散逸力しか得られません。この点に関する解決策は既に我々が提案しており、現在“共鳴結合法(resonant coupling method)”として知られています[1]。共鳴結合法により、1次元的な散逸力を容易に3次元化することが可能です。S-LSRでは勿論、レーザー冷却法と共鳴結合法を併用することになっており、数年後には歴史上最も温度の低い(それも圧倒的に低い)超高品質ビームが生成されているでしょう。最後に、S-LSRが備えている、きわめてユニークなビーム偏向要素について言及しておきます。ある程度以上の運動エネルギーをもつビームの軌道偏向は、例外なく、双極電磁石を使って行われます。ところが、このリングの偏向部には静電的なデフレクターが付加されており、磁場と電場を同時に使ってビームの軌道を曲げることができるのです。この特殊な軌道偏向要素を用いれば、円形加速器に特有の運動量分散効果をほぼ完全に抑制することができます。運動量分散は極低温ビームを加熱することが我々の研究で判明しており、この意味でも、S-LSRは低エミッタンスの極限を追求するに相応しいリングであると言えます。
[1] H. Okamoto, A. M. Sessler and D. Mohl, “Three-dimensional laser cooling of stored and circulating ion beams by means of a coupling cavity”, Phys. Rev. Lett., Vol.72, No.25 (1994) pp.3977 - 3980; H. Okamoto, “Transverse laser cooling induced through dispersion at an rf cavity”, Phys. Rev. E, Vol.50, No.6 (1994) pp.4982 - 4995.
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*ドップラーレーザー冷却法
  "ドップラーレーザー冷却法"の原理は概ね以下の通りである。特定の方向に一 定速度v||で走っている1個のイオンを考える(図1(a))。このイオンは基底 状態にあり、励起状態への遷移周波数がω0で与えられるとする。いま、このイオンに周波数ωLのレーザーを照射する。レーザーの進行方向はイオンの進行方向ともちろん一致している。このときイオンから見たレーザー周波数はωLではなく、速度v||に依存してドップラーシフトしている。このドップラーシフトを考慮した上でイオン静止系でのレーザー周波数を遷移周波数ω0に一致させれば、レーザー光子は共鳴的に吸収される。吸収の過程でイオンは励起されると共に光子1個分の運動量を獲得し、レーザーの照射方向へわずかに加速される(図1(b))。励起状態の寿命が非常に短い場合、イオンはすぐに基底状態へと戻ることになるが、この際に光子1個を放出して反跳を受ける。光子の放出は等方的に起こるので、以上の光子吸収・放出過程を多数回繰り返した後の反跳による運動量変化は確率的にゼロである(図1(c))。したがって、最終的なイオン状態はレーザーの進行方向に微小な速度変化を受けたこと以外、もともとの状態と同じである(図1(d))。


図1.レーザー冷却の基本サイクル

加速器中のビームは一般にきわめて高温である;重心系で眺めた場合、ビーム構成粒子の運動エネルギーには大きなばらつきがある(図2(a))。このばらつきの度合いを減少する、すなわち「ビームを冷却する」ために上述したレーザー光子の吸収・放出過程を利用する。まず、図2(a)中の矢印で指定された運動量を持つ一群のイオンに(ドップラーシフトの分も含めて)レーザーを共鳴させる。他の大部分のイオンは速度が異なるためドップラーシフトの大きさも異なり、したがってレーザーと共鳴することはない。結局、一部の共鳴イオンのみが加速されて、図2(b)のような小さなピークをつくる(光子の吸収による運動量変化は、熱いビームがもともと持っていた運動量の広がりに比べて圧倒的に小さいことに注意せよ)。次に、レーザーの周波数を少しずらして、この小さなピークを形作っているイオン群に共鳴させる。すると、加速の効果でピークはさらに少しだけ右へずれることになる。このように、レーザーの周波数を適切にスキャンすれば、非常に狭い運動量範囲の中に大部分のイオンを押し込むことができる(図2(c))。ピークの幅はレーザー冷却過程のドップラー限界によって決まり、典型的にはミリ・ケルビン以下のオーダーである。


図2.レーザー冷却の原理(ビームを構成するイオンの運動量分布の変化を模式的に示している。横軸はイオン運動量、縦軸はイオン数を表す。)

**ベータトロン振動とシンクロトロン振動
 3つある空間自由度のうち、ビームの軌道に沿った軸を“縦方向”、これに直交する2自由度を“横方向”と呼ぶ。横方向の運動は四重極磁石などによって集束され、個々の粒子は設計軌道軸の周りで高速振動する。これが“ベータトロン振動”である。加速器に高周波空胴を設置するとビームは縦方向にも集束され、粒子は軸に沿って振動する。これが“シンクロトロン振動”である。ベータトロン振動やシンクロトロン振動の振動数を“チューン”と呼ぶ。
***S-LSR

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