非中性プラズマトラップによる荷電粒子多体系の実験的研究
テーブルトップの加速器研究!
「次世代高エネルギー加速器の研究」で紹介したように、高性能の荷電粒子ビームには複雑な非線形集団効果がつきまとう。とくに、ビームの低エミッタンス化を目指すと自己クーロンポテンシャルが増大し、いわゆる“空間電荷効果”が不可避的に顕在化します。この種の集団現象は冷却された低温ビームを加熱し、到達可能なエミッタンスを強く制限することが知られています(「小型蓄積リングを用いたビーム冷却実験およびビーム冷却法の開発」を参照)。また、高温ビームにおいても、限られた位相空間に大量のイオンを詰め込むと、空間電荷効果が無視できなくなります。たとえば、アメリカや中国、そして我が国(J−PARC)でも建設が進んでいる大強度ハドロンマシーンでは、きわめて高出力(電力に換算するとメガワット級)の陽子ビームを加速します;当然、空間電荷効果に細心の注意を払って設計されなければなりません。ビーム強度が大きい場合、集団不安定性による粒子損失はとりわけ深刻な問題を引き起こすと予想されます。もともとのビームパワーが巨大であるため、ほんの一部分の損失ですら通常のビームの損失とは比較にならないダメージを加速器に与えてしまうからです。ビーム損失が加速器全体を放射化して、人間が近寄ることのできない代物に変えてしまう恐れすらあるのです。
空間電荷効果は古くから加速器物理学における主要テーマの一つであり、理論的にも実験的にも研究されてきました。しかしながら、空間電荷効果に限らず、ビーム物性の実験的研究はかなりの困難を伴います。まず、パラメータの可変範囲が狭いため、系統的な実験を行うのは無理です。完成した加速器のラティス構造を変えることはできませんし、チューン*を広範囲に振るのも不可能です。空間電荷不安定性はビームの位相空間密度に依存しますが、粒子密度を制御するのはチューンを変えること以上に難しい。また、加速器は様々な構成要素から成る複雑な力学系で、人間が建設した以上、理想からのズレに起因するバックグラウンドが不可避です。そもそも相対論的スピードで運動する荷電粒子集団を精度良く観測しない限り、有益な物理的情報は得られません。結局、系統的実験観測の難しさから、空間電荷効果はこれまで主として理論的に研究されてきました。とくに最近では、高速のコンピュータを駆使したシミュレーションが多用されています。ところが、理論的研究にも
1 基本方程式系が複雑過ぎて、自己充足的な解法はまず不可能である、
2 数値計算に訴えたとしても、膨大な数のクーロン相互作用する粒子を考慮しなければならないため、精度の高い計算には相当な時間を要してしまう、
などの本質的問題があります。
これら従来の研究手法に付随する困難を一挙に解決する、全く新しい実験的アプローチを我々は提案しています[1,2]。「加速器中を伝搬する荷電粒子ビームの集団運動は、ある種のイオントラップ装置中に捕捉された非中性プラズマの集団運動と物理的に等価である」ことが数学的に証明でき、この事実から、“ビーム”の研究に必ずしも加速器は必要ないことがわかるのです。当研究室では、ビーム物理研究用に最適設計されたプラズマトラップシステムを開発し、「加速器を使わない加速器研究」をスタートさせました。我々が製作した実験システムの全景を図1に掲げておきます。同種のシステムがもう一組用意されており、これらをS‐POD(Simulator for Particle Orbit Dynamicsの略)と呼んでいます。S‐PODは、“機能分割型ポールトラップ(図2)”、トラップに与える高周波および定電圧の発生・制御システム、プラズマの密度制御と観測を兼ねたレーザー光学系、真空排気装置、などから構成されています。トラップ本体は軸長30cm弱で、これが我々の「加速器」であると言えます。この新実験手法がもつ利点は明らかでしょう:
加速器と比べて桁違いに安価である、
基本パラメータを容易かつ広範囲に変化させることができる、
対象が実験室系で静止しているため、きわめて高精度の観測が可能である、
粒子損失による被爆や放射化の危険性が全くない、
プラズマの閉じ込めに利用する高周波電圧の波形をコントロールすることにより、様々なラティス構造を模倣することができる。
尚、プラズマの位相空間密度制御にはレーザー冷却法を用います。冷却過程で個々のイオンが放出するフォトン(誘起蛍光)は、プラズマの高精度観測に利用することが可能です。プリンストン大学も我々のアイディアにいち早く注目し、(S‐PODに比べるとかなり大きいが)同種のビーム研究専用プラズマトラップを建設しました。新実験法の実用化に向けての国際的競争が進行中です。
図1.S-PODの全景
図2.機能分割型ポールトラップ
[1] H. Okamoto, On dynamical analogy between linear beam transport channels and plasma trap systems, Hiroshima University Preprint HUBP-01/98 (1998); H. Okamoto and H. Tanaka, “Proposed experiments for the study of beam halo formation”, Nucl. Instrum. Meth. A437 (1999) pp. 178 - 187.
[2] H. Okamoto, Y. Wada, and R. Takai, “Radio-frequency quadrupole trap as a tool for experimental beam physics”, Nucl. Instrum. Meth. A485 (2002) pp. 244 - 254.
*チューン
加速器中を伝搬するビームは人為的な電磁場によって強く集束されている。個々の荷電粒子は設計軌道の周りで擬似的な調和振動(ベータトロン振動)を行っており、その単位集束周期構造当たりの振動数は“チューン”と称される。チューンはビーム軌道力学において最も重要なパラメータである。